「心に残るロータリアンの言葉」

【第23回】

       

                                  

中井 義尚会員

「ロータリー今昔−それは変ったか」
     第2750地区P.G. 黒沢張三
         
 ロータリーを指導された方々は、「ロータリーとは何か」の説明に随分苦労をされながらも数多くの名言を残されています。そのいくつかを紹介します。          
初代ガバナー米山梅吉さん
 ロータリアンの不平には3種類ある。その一つは、飽きる一向つまらぬと言って出席しない人。これはどこの団体にもあることで致しかたない。その二つは、ロータリーの活動が足りない、もっと社会的にも政治的にも口を出せと力瘤を入れる人。その三は、ロータリーは何処に行くかと悲観する人である。ロータリーには見えない仕事があり、目立たないところに妙味がある。
米山さんに続いて二代目ガバナーになられた井坂孝さんは言われました。       
 ロータリーは着物の裏を整えて着心地を良くするような仕事をしている。身体に密着するのは表でなく、着物の裏である。ロータリーも生活に密着して住み良い世の中を作ろうとしている。最近のロータリーは表生地の良さだけが論じられることが多いようですが、もっと裏生地の良さ、仕立の良さを評価されなければならぬと思います。      
三代目ガバナーの村田省蔵さんは、                 
「ロータリーは銭湯の如し」着物を脱いで裸になれば身分はない。浴槽に一緒に浸って本音で語り合う。            
 こうしてロータリーは横並び社会であることを説かれました。             
 最近のロータリーはとにかく、天下りの号令がかかります。地区ガバナーは軍司令官ではありません。これを間違えると多くの方が「ロータリー本音が言えぬ難しさ」と嘆くことになるのです。     

                 ロータリー研究会第30回例会より(1992年5月)