第2148回例会報告[2021年12月10日(金)]

会長の時間

 岡本平仁 会長

皆様、こんにちは。

本日の例会も宜しくお願いします。

 

先週の土曜日、12月4日会員増強に向けた意見交換会を行いました。山本新一郎委員長はじめ、参加して頂きました会員の皆様、貴重な意見と情報、有り難うございました。会員増員に向け、努力していきます。私の年度中にあと2~3回は、意見交換会を開催したいと思っております。今回出席出来なかった方の参加をお待ちしております。山本委員長、宜しくお願いします。

 

以前、この時間で話しましたノーベル賞、本日、授賞式がスウェーデン、ストックホルムで行われます。平和賞は、ノルウェー・オスロでそれぞれ授賞式が開催されております。こちらは対面で行われるようです。でも今年のメダル授与は、受賞者が居住する各国で行われ、先日日本人でアメリカ国籍の眞鍋淑郎氏もワシントンDCにて授与されておりました。

 

そして、今日12月10日には過去に注目する大きな事件が2つ起こっております。

1867年12月10日、京都の近江屋に宿泊中だった坂本龍馬・中岡慎太郎・山田藤吉(元力士)の3人が、何者かに暗殺された通称、近江屋事件が起こりました。

旧暦慶応3年11月15日

大政奉還が、慶応3年10月14日(1867年[3]11月9日)ですので、その一ヶ月後の出来事です。

そしてもう1つ、それから101年後

1968(昭和43)年12月10日、東京・府中市の東芝工場で働く従業員に支給される予定だったボーナス総支給額約3億円を積んだ乗用車が、白バイ警官を装った人物に車ごと奪われる、通称三億円事件が発生しております。

3億円、現代換算:約20〜30億円

当時最高金額となった現金強奪事件は、現場等に多くの物証が残っていたことから早期解決が見込まれておりました。が、実際の捜査は混迷を極め、約17万人以上もの捜査官、モンタージュ写真での情報提供、警察犬の導入など様々な捜査が行われるも、1975(昭和50)年12月10日に当時の公訴時効が成立。

未解決事件として今日でも多くの謎に包まれる事件となっております。

また、完全犯罪を成し遂げた経緯から、日本犯罪史に残る「三億円事件」が発生した12月10日は、三億円事件の日として訓戒を込めて記念日に制定されております。

因みに、1935(昭和10年)年 – 株式会社大阪野球倶楽部(大阪タイガース、現・阪神タイガース)創立。

 

以上、会長の時間とさせて頂きます。有り難うございました。

卓話

「親がいなくなる前にやっておけばよかったこと」

美馬知幸会員

美馬知幸会員

昨年に父を亡くしました。私が仕事で遠方に行っている日、急に体調が悪くなり意識不明のまま入院し人工呼吸器・透析を24時間していましたが結局戻ることはありませんでした。

 

私は父が亡くなるってから「あれをしておけばよかった、これもしておけばよかった」と 思い出すたびに後悔の念にかられます。

 

1年経ちましたが、今でも父が日常で使っていた物や、服を見るたびに涙があふれてしまうそんな毎日を送っています。

父の死を経験し感じた事をお話しさせていただこうと思います。

 

1つ目:親の生き生きした写真をもっとたくさん撮っておけばよかったです。

父が元気だった頃の写真や私が幼い頃に写した家族での写真はあるのですが、

私が大人になってからの写真は数えるほどしかありません。

父が亡くなった直後に遺影用の写真を探した時、「これだ!」と思えるものがなく、数年前に写した写真を遺影にする事になってしまいました。

父がもっと元気な時にたくさん写真を撮っておけばよかった。もっと生き生きした瞬間を残してあげたかった、それが今も悔やんでいる事の一つです。

 

2つ目:親の「最後の望みや心の声」を聞いてあげればよかったです。

父は思い残すことはなかったのだろうか?

今でも生前の父の生きていた頃の事を思いだします。

父はなかなか胸の内を打ち明けることはない人でしたが、私の方から「手伝うことはある?」「何かあったら言って」とか声を掛けられたはずです。

私が何か言うと喧嘩になってしまうので何も言わずに静観し続けてしまいました。

もっと私が何も気にせず、父の声に耳を傾けてもよかったんじゃないかと悔いが残っています。

 

3つ目:1番の後悔はいろいろ悪態をついてごめんなさい。と伝えればよかったです。

親に対してできなかった事の後悔についてお話させていただいてますが、「父のことが大好きなんだろうな」「親孝行してきたんだろうな」と思われるかもしれませんが、決してそんなことはなく、父にはさんざん悪態をついてきました。

父とは一緒に働いていたので、1年365日24時間ずっと一緒に過ごしてきました。心臓の持病もあり休まず会社に出勤し週3回の透析もしていたので、辛さはわかっていましたが、わがままを言い出す父に向って「もういい加減にしたら」「うるさい」「息抜きさせて!」「私の人生の邪魔せんといて!」と度々暴言を吐いたりしました。その時の父の顔は今でも忘れられません。

言った後に「言い過ぎたな」とは思っていましたが、口には出せませんでした。

私は父親に言いっぱなしで一度も「ごめん」と謝らなかったのはいけなかったな。

親だから言ってもいいだろうと甘えがありました。

今、父の後を継ぎ知らなかった部分まで見え、父の苦労、大変さ辛さがわかるようになりました。生きているうちに謝らなかったという事実は今でも自分の心に影を落とし、スッキリと晴れさせてくれません。

 

4つ目:ありがとうを伝えればよかった。

謝ることもですが、気恥ずかしくて親に感謝の気持ちを伝えた記憶があまりありません。父が亡くなってしまい、私が「ありがとう」を素直に言えたのは、納棺前に、父と私以外、誰もいなくなった時です。冷たくなった父のおでこや顔・手を触りながら、やっと伝えることができました。今更ですが生きているうちに父に伝えられなかったことを後悔しています。

 

最後になりますが父が居なくなって気づいた事は、ありきたりですが、毎日会ったり、話している身近な人に感謝する気持ちは忘れがちですが、みんな永遠に生き続けるわけではありません。いなくなってからでは遅いです。大切な人に感謝の気持ちや愛情を伝えましょう。

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