第2209回例会報告[2023年8月25日(金)]

会長の時間

 山元芳裕 会長

お盆も終わり、暦は秋になって行きますが異様なほどの蒸し暑さにまいってしまいます。

台風6号の沖縄付近を瞑想する異常な進路の台風の後、台風7号がお盆の最中で近畿地方を通過しました。お盆休暇の予定をしていた方々には大変な目に合われたことと思います。ご先祖の送り火も、台風に乗っかってあちらの世界にお帰りになったのかもしれません。

その台風7号の影響で、1日遅れで、令和5年度の岸和田市青少年海外派遣時事業で、サウス・サンフランシスコ市を訪れてまいりました。日程は1日短くなり、8月16日から8月22日までの7日間でした。総勢19人の派遣団で、派遣生が15名(女子12名・男子3名)大阪府立高津高校生・2名、大阪府立岸和田高校生・4名、大阪府立和泉高校生・4名、岸和田市立産業高校生・5名の派遣生でした。

引率者は、岸和田市役所職員3名と岸和田東RCより1名の総勢19名でした。

サウス・サンフランシスコ市は、お昼はよいお天気で年間の雨量も少ないそうです。風は涼しく湿度も快適で、生活のしやすいところでした。夜は風が冷たく、少し寒いくらいでした。

100名近くの応募者より選抜された派遣生は、皆さん活発で、前向きにホストファミリ-や現地ロータリアンに対応して、楽しく期間を過ごしてまいりました。大きなけがも無く無事に帰阪できたことをうれしく思っています。

資料の整理が迄出来ていないので、写真での報告は後日させていただきます。

サウス・サンフランシスコRCの皆さん、また、ご協力を頂いた多くの皆様の盛大な歓迎とおもてなしに感謝をいたします。

本日の会長の時間をおわります。

卓話

「あさはどこから」

坂東桂子会員

坂東桂子会員

古典で朝といいますと あかつき あけぼの しののめ あさぼらけ そして「鶏の声」という言葉がでてきます。朝はいつの時代でも忙しい時間帯です。 九条右大臣、藤原師輔が残した 「九條殿御遺誡」という本によりますと、貴族の一日はハードだったようです。宮城の門が開かれる第1太鼓が日の出の数十分まえになります。そして日の出の1時間あとに鳴らされる2番太鼓までに、身支度を整え、、宮中へ参内します。
『戦々慄慄として、日一日に慎むこと、深きふちに臨むがごとく、薄氷を履むがごとしといへり』
とあり、楽な仕事ではなかったようです。
朝の一番は 「鶏の声」です。日本国語大辞典では、一番鶏が鳴くのは、午前2時ごろ。丑の時。八の時。 とあります。
清少納言の次の歌は有名です。
『世をこめて 鳥のそら音は はかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ』
鶏は、「あかつき」に先駆けて鳴きます。「あかつきは」は日にちがかわる「あかとき」からくるもので、3時ごろを言います。
夜を三つに分けたもののうち「宵」「夜中」に続く時間帯をいいました。朝の範疇の「しののめ」「あけぼの」があとで生まれ次第に混同されてゆきます。
平安期「あかつき」は、ともに夜を過ごした男と女の別れをあらわす言葉でした。
伊勢へ行って、もう会えなくなる六条御息所と源氏との「きぬぎぬの別れ」は有名です。
「ようよう明けゆく 空のけしき ことさらに 作り出でたらむようなり あかつきの別れはいつも露けきを こは世に知らぬ秋の空かな 出でがてに 御手をとらえてやすらひたまえる いみじゅうなつかし』
枕草子で「あかつき」をひろいますと、
『すきずきしくて 人かずみる人の 夜はいづくにはありつらん あかつきに返てやがて起きたる ねぶたげなる景色なれど』
ここでも 男女の夜のわかれです。
しかし 源氏物語後編の「あげまき」になりますと「あかつき」のニュアンスが変わってきます。
薫と大君の場面です
『なるゆき、むら鳥の たちさまよふ 羽風近く聞こゆ 夜深き朝の鐘の音かすかに響く あなくるしや 暁の別れや、まだしらぬことにて、げにまどいぬべきをと嘆きがちなり』
夜をともに過ごしながら、男女の関係がなかった薫と大君のいわば「偽りの暁の別れの」場面でここでは、鐘の音が聞こえるという記述が加わるのです。仏教的な世の無常や寂寥という色合いを帯びるようになります。
中古から中世へという時代が移り代わるにつれ、 あかつきという時間帯が象徴していたものが恋人の別れから無常へと変化していくのです。さらに鐘の音という要素が大きくなります。その背景には仏教の浸透があったと考えられます。
そして私たちの「朝」といいますと「朝が来ぬ日はない」 「日は再び昇る」とか希望を象徴する言葉になってきてるのではないでしょうか。時刻も5時から10時ごろまででしょうか。

時刻といいますと奈良時代から室町時代後半までの天保歴は定時法で1日を12等分し12支を当てました。宮中の漏刻という水時計で 時間をはかり、太鼓で宮中に知らせました。この太鼓は間もなく夜間は取りやめになり、口頭による「ときのそう」〈時奏〉へとかわります。そして平安末期に漏刻は途絶して、中世では太陽の出入り時刻を基準に昼と夜をそれぞれに等分する不定時法になります。「暮六つ」の言い方は不定時法です。
宮中からの太鼓や時奏が聞こえない庶民は、近隣の寺院の鐘によって時を知ったようです。清少納言の時代はすでに時奏の時代でした。枕草子に時を知らせるお役人の声がおもむき深いと表現されています。
時刻の掌握は、権力の象徴となり、権力の下、同じ時刻を共有して、一つの文化が作られていきます。鐘の音によって時刻を知らせるということは、中世ヨーロッパでも同じでした。
私たちはいまどんな時間の法則で、どんな文化の中でいきているのでしょうか。一日を24時間としています。12進法という数字の歴史も興味がありますね。「お休みとあいさつすると地球の裏側で朝のベルが鳴る」という歌があります。世界はいつも、どこかで朝を迎えています。世界の情報合戦の中で、一刻を競って、量子コンピューターが活躍、タイムマシーンや別の次元について研究される時代となりました。
私は平家物語の冒頭が好きです。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人もひさしからず,ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もついには滅びぬ。ひとえへに風の前の塵に同じ。

明けない夜はない 常に希望を伴う 「あさ」 という言葉も好きです。
今日は、鶏の声、あかつき、古人の言葉から私たちの生活を考えてみました。
古典文学は捨て置かれた過去ではなく、現在へ、そして未来も示してくれます。中世の人が先人より伝えられてきたものを受け止めて「アト」の人に伝えようとしたことから学びたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

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